プロフィールにも書かせていただいているとおり、私にはかつて、「フェッちゃん=女の仔」と「キチュ(愛称キチュオ)=男の仔)」という心から愛するにゃんこ家族がいました。
キチュは4年弱前、フェッちゃんは昨年の9月にそれぞれ天国に旅立ったのですが、特にフェッちゃんを失って以降の私の悲しみはあまりに深く、私は留学先であるここLAで大きく体調を崩しました。
もちろん、キチュオが亡くなった時の悲しみも、今なお辛く悲しいものです。でも、キチュオが天に召された当時は、フェッちゃんという愛してやまない存在が、まだまだ元気に私のそばに寄り添っていてくれたのです。
その存在がどれほど大きく、頼もしいものだったことか……。どれほど強く私を支え、キチュオを失ったことへの悲しみを癒してくれていたことか……。彼女には今も、感謝の思いでいっぱいです。
人が生きていく上で、最も辛く悲しいことって何だろう?
ふと、そんなことを考えたとき、決まって私の頭に浮かぶのは、「自分の死よりも先に、我が子を失うということ」です。
実際、「子どもに先立たれること」ほど辛いことは、この世の中にないのではないでしょうか?
だから、我が子が不治の病に冒されたり、その命のともしびが消えかけているのを目にしたら、きっとその子の親は自分の命に代えてでも、その子を守りたいと思うはず。
私のフェッちゃんへの思いがそうでした……。
フェッちゃんは結局、腎臓病がもとで亡くなったのですが、腎臓病はある意味、ねこの宿命ともいうべき病いです。そこへきて、フェッちゃんはもう19歳にもなっていました。つまり、世間一般で言うなら、フェッちゃんはすでに、「ご長寿にゃん」でもあったのです。
でも、それでも……。
彼女が私にとっての最愛の家族であればこそ、「ここまで生きてくれたんだから、もう充分だ!」なんて、いくつになっても思えるはずはないんです……。
やっぱり、1日でも……1分、1秒でも長く生きて欲しいと思うものなんです……。
私は神に祈りました。「私の寿命を削っていただいて結構です。だから、どうかその私の寿命を、彼女に分けてあげてください」と……。
私の命の代わりに彼女を助けて欲しいと願わなかったのは、自分の命が惜しかったからではありません。たとえフェッちゃんの命が助かっても、私がいなくなってしまったら、やっぱり彼女は生きられないだろうと考えたからです。
フェッちゃんは大切な大切な家族です。でもどうしたって、ねこであるという事実から逃れることはできません。
だから、言うまでもなく、フェッちゃんが自立して働いて、自分で自分の面倒を見ることは逆立ちしたってできません。
そんな仔を残して、自分が先立つことほど、不憫なことはないのです。
そして何より私は、フェッちゃんとまだまだ「一緒に生きていきたかった」のです。
フェッちゃんは私の思いに応えて、本当に頑張ってくれました。そして彼女は幾度も命の危機を乗り越え、獣医に匙を投げられてからも、寝たきりになることもなく、ほぼ危篤状態で緊急入院して以降、3ヵ月もの長きにわたって生き延びてくれました。
フェッちゃんの大好きなお家にだって、退院して、ちゃんと帰ってくることができました。
なのに……
私は、ただの欲張りなのでしょうか……
それでも彼女の天国への旅立ちを、すんなりと受け入れることができませんでした。
俗に言う、「ペットロス」と言ってしまえばそうなのかもしれません……
でも、「悲しい」とか「辛い」とか「寂しい」とか、そんなことじゃないんです……
「もう、フェッちゃんはこの世のどこにもいないんだ」
「もうあの仔には世界のどこに行っても、二度と会うことはできないんだ」
「彼女のあの温もりを感じることは、私にはもう永遠にできないんだ」
そう思うと、言葉では言い表しようのない「喪失感」や「焦燥感」や「恐怖心」にすら取り憑かれて、自分がこの先、生きていくことの意味すら見失いそうになるのです。
でも一方で、天国に旅立ったフェッちゃんが、そんな私を見て幸せであるわけがないこともよくよくわかっていました……。
「なんとかしたい、なんとかしなきゃ、天国にいるフェッちゃんがこんな私を見て、喜ぶはずがないでしょう!」
そんなことを繰り返し考えては、時として自分がこのままどうにかなってしまうのではないかという恐怖心に取り憑かれ、ここLAで何度も救急車を呼ぶ寸前にまで追い詰められました……
そして今は……
正直、今も「フェッちゃんの存在を失った悲しみを忘れる」ということはやっぱりできません……。
でも、何とかその「悲しみと共存できるようにはなりつつある」のではないかと思っています。
今日はそんな私が、「愛猫の死を乗り越えるためのヒントとなった3つのこと」をお話ししたいと思います。
「虹の橋」を思い浮かべてみる
大切なねこと一緒に家族として暮らしている、あるいはすでに、そのねこたちを天国に見送った経験をお持ちの皆さんの中には、この「虹の橋」という場所をご存知の方も多くいらっしゃることでしょう。
虹の橋とは、亡くなったねこやいぬをはじめ、人とともに暮らし、人に愛されて生きた動物たちが行くと言われている天国の手前の緑の草原と、天国とをつなぐ橋のことです。
もともとはアメリカで「詠み人知らず」として書かれた詩が全世界に広まり、特に愛する家族である動物を失った人たちのあいだで、その詩の中にうたわれている「虹の橋」の存在が知られるようになったようですね。
ウィキペディア(Wikipedia)の中でも、「虹の橋」の詩が以下のように紹介されています。
この世を去ったペットたちは、天国の手前の緑の草原に行く。食べ物も水も用意された暖かい場所で、老いや病気から回復した元気な体で仲間と楽しく遊び回る。しかしたった一つ気がかりなのが、残してきた大好きな飼い主のことである。
一匹のペットの目に、草原に向かってくる人影が映る。懐かしいその姿を認めるなり、そのペットは喜びにうち震え、仲間から離れて全力で駆けていきその人に飛びついて顔中にキスをする。
死んでしまった飼い主=あなたは、こうしてペットと再会し、一緒に虹の橋を渡っていく。
きっかけがなんだったかは忘れてしまったのですが、実際、私もフェッちゃんが亡くなる前から、この「虹の橋」の存在を知ってはいました。
また、フェッちゃんを亡くして悲しみに打ちひしがれていた私を見かねた親友が、わざわざネットで調べたこの「虹の橋」の詩を、英文の原文で送ってくれたこともあります。
その親友の心遣いが心からありがたかったのと同時に、なんとなくしか知らなかった「虹の橋」の由来が、詠み人知らずの詩にあることを知りました。
また、「虹の橋」が、それほどまでに世界的に知られている場所であることを聞いたことで、なんだか本当にそういう場所があるような思いを抱くこともできました。
そして何よりも、私の大切なフェチキチュが、オイシイ食べ物や水に恵まれた暖かい場所で、もう病に苦しむこともなく幸せに暮らせていると思えることが、私の救いになりました。
それでもただ一つだけ気がかりなのは、やっぱり私が死ぬまでは、彼らとは再会できないのだということでした……。
「ねこは9回生まれ変わる」という伝説
「虹の橋」の存在もさることながら、私が本当の意味でフェチキチュを失ったことの悲しみと共存できるようになるきっかけを作ってくれたのは、この「ねこは9回生まれ変わる」という伝説でした。
「猫に九生有り(ねこにきゅうしょうあり)」。つまり、「ねこはいくつもの命を持っていて、だから9回も生まれ変わることができる」という意味を持つこのことわざは日本のものですが、その出自は明らかではないようです。
ただ、1500年代のイギリスにはすでに、「ねこが9回生まれ変われること」を意味するような表現があったようで、実際、1561年に出版されたイギリスの「猫にご用心」という作品の中には、「魔女はその猫の体を9回使うことができるのだ」という一節があるそうです。
また、かの有名なシェイクスピアの戯曲、「ロミオとジュリエット」の中にでさえも、「ねこ王殿。9つあるお主の命のうち、たった一つだけをいただきたいと思うが」というセリフがあるのだとか……。
そしてこの話が、私がず〜っと信じ続けてきたフェッちゃんの生まれに関するとっても重要なことと、フェチキチュに関わる実に「肝心なこと」を、思い出させてくれたのです。
そう……私はフェッちゃんに出会って以来、「彼女は私の母方の祖母の生まれ変わりに違いない」と信じていました。
それは何より私が、彼女とキチュオに、その祖母のお墓の前で運命的な出会いをはたしたことに起因しています。
この運命的な出会いについては別途書かせていただきますが、とにかくそれ以外にもあるいくつもの理由から、私はそうと確信していたのです。
いくらねこを心から愛する方々でも、この類の話を信じられない方がいらっしゃるのも事実でしょう。
でも、私が聞いたことのあるこれと似たようなエピソードに、ねこ好きで有名な女優でエッセイストの、室井滋さんの話があります。
もうずいぶん前ですが、あるテレビ番組の中で室井さんが、ねこの話をしていたことがありました。その話によれば、一緒に暮らす数匹のねこのうちの一匹が、時として室井さんの肩を揉んでくれる仔だったそうで……。
しかも、その肩の揉み方が、肩もみが上手で室井さんの肩をよく揉んでくれていたお父さんにそっくりだったため、「この仔は絶対、自分の父親の生まれ変わりに違いない!」と確信した室井さんは思わず、その仔に向かって、
「ねえ、本当はお父さんなんでしょ?ねえ、そうなんでしょ?」と本気で聞いたそうです。
つまり、そういうことって、誰にでも起こりうることなんじゃないかなあ、と私は思っています。
で、私は「フェッちゃんは祖母の生まれ変わりだ」と確信すると同時に、フェッちゃんと一緒に出会ったキチュオは、きっと祖父の生まれ変わりだろうとも信じていました。
彼らは間違いなく兄妹(姉弟)ねこだったと思われますが、まだ幼かった彼らの性別を確認することなく、私は祖母のお墓の前で出会った彼らを家族として迎えました。
でも、彼らと出会ってすぐに、もしこれでどちらかが女の仔でどちらかが男の仔だったら、きっと彼らは祖母と祖父の生まれ変わりに違いないと感じていました。
なぜなら、フェチキチュに出会った当時そのお墓に収まっていたのは、祖母と祖父の二人きりだったからです。
私は若くして亡くなった祖父に会ったことはなかったのですが、祖母の生まれ変わりであるフェッちゃんが一人で寂しくないようにと、祖父がフェッちゃんと同じねこであるキチュオとして、この世に生まれ変わってきたのだろうと思ったのです。
そうして彼らは案の定、男の仔と女の仔でした。もう、信じたことを疑う余地は私にはありませんでした。
ところで、「ねこは9回生まれ変わる」という伝説を知って、ふと思い出したフェチキチュにまつわる「肝心なこと」というのは、私が彼らがまだ若い頃から、並んでくつろぐ彼らの背中を撫でながら、しょっちゅう言い聞かせていたことでした。
「フェッちゃんもキチュオも、最低でもきっと20年以上は生きてね」
「でも、どうしても……どうしてもこの体がもたなくなった時は……きっと同じ魂を持って、すぐまた私のところに帰ってきてくれるんだよ!」
彼らは何も言いませんでしたが、しきりに尻尾でパタパタと、合図を送ってくれていました。
「わかったわよ」
「わかったよ」
と……。
あれほど私のことを愛してくれていた彼らが、私のその願いを聞きとどけてくれないわけはありません。
なんてったって、「ねこは9回生まれ変われる」んですから!
私がこの世に生きているかぎり、きっと何度だって生まれ変わって、私のもとに帰ってきてくれるはずですよね……。
悲しみに明け暮れて、どこかに紛れそうになっていたそんなにも大切なことを、しっかりと思い出させてくれた心強い伝説です。
愛猫の遺骨をペンダントにして身につける
私は毎朝晩、祖母やフェチキチュの写真に「お塩と水」を備え、ご挨拶しています。そして、私の生活の中心となっている語学学校をはじめ、外出するときは必ず、その写真をお財布に入れて持って歩くようにしています。
でも、ある時ふと、以前、何かのテレビ番組で、亡くなった方のお骨をペンダントにして肌身離さず持っていらっしゃるのを見たことを思い出したんです。
「私もそうしたい……」
そう思った私は、早速、フェチキチュのお骨もそんなふうにして肌身離さず、いつも一緒にいられるものはないかと探してみたのです。そうして見つけたのが、写真のペンダントです。
正直、もっと高価なものになれば、本当のアクセサリーのように、よりオシャレで軽量なものが作れるのかもしれません。
でも私の場合は、フェチキチュ二人(あえて2匹とは言いたくないのでご容赦ください)それぞれの分が必要です。それに、高価であることに意義があるわけではありません。
ただ、ただ……二人の存在をより確かに、身近に感じていたいだけなのです。だから写真のものを選びました。
私はペンダントというよりは御守り代わりとして、学校や買い物など、外出するときには必ず持ち歩くカバンに付けて、彼らと行動を共にしています。
ペンダントの中には、極小の透明な試験管のような容器が入っている二重構造になっていて、その中にお骨を収められる仕組みになっています。
彼らの写真だけでも、もちろん、私にとってはとても愛おしいものです。でも、お骨というのはまた違った意味で、彼らそのものでもあります。
だから、このペンダントを身につけたり、カバンに付けたしていると、彼らがいつでも本当にそばにいてくれるような気持ちになれて、以前よりも心が落ち着くような気がしています。
なお、写真では見づらいかもしれませんが、2人の名前と、名前の両脇にはフェチキチュそれぞれに形の違う「ねこのシルエット」が刻印されています。
これは何種類か用意されているものの中から自由に選べるのですが、フェチキチュが生前によくとっていたポーズや、それぞれの体つきに近いものを吟味して選んだので、私にとっては彼らの名前を飾るにふさわしい、愛らしい出来栄えだと思っています。
でも、彼らへのメッセージだけは、二人とも共通のものにしました。
「きっとまた家族になれる」
私は本当に、そう信じています。
まとめ
愛猫を失うことは、このうえなく辛く悲しいものです。でも、私は彼らの死を忘れるのではなく、どのように受け止めるかを試行錯誤する中で、ようやく彼らを失った悲しみとなんとか共存できるようになりつつあるように思います(まだ、現在進行形ですが……)。
いつまでも彼らの死を悲しんでばかりでは、むしろ彼らがそういう私の姿を見て悲しむに違いない。そう考える一方で、彼らのことを思い出して涙しては、反省することも多々あります。
でも、考え方によっては、彼らの死後、たとえ何年経とうとも彼らのことを想って流す涙は、彼らへの深い愛情の証に他ならないとも言えますよね?
実際、祖母が他界した数年後、私が祖母のことを思い出して涙を流すのを見た母が、
「そんなふうに、今でも自分のことを思い出して泣いてくれる孫がいて、おばあちゃんは幸せね!」と言ってくれたことがあります。
何年経っても祖母が亡くなった悲しみを乗り越えられず、涙を流してしまう自分を情けなく思っていた私は、母のその言葉で救われたような気持ちになったことを覚えています。
でも母は、ただ私を慰めたり、励ましたかったわけではなく、あれは母の本音だったとも思っています。
「悲しんでいる顔を見せたくないから忘れようとする」のではなく、「思い出して涙する」のもまた、時には一つの供養のかたちと言えるのではないでしょうか?
どれほど深く愛しても、悲しいかな、いつかはきっと彼らとの別れがやってきます……。
でも、だからこそ、彼らとの幸せな日々を慈しみながら、後悔のない、お互いにとって幸せな時間を少しでも長く過ごしたいものですね。
現在、愛するにゃんこたちを家族にお持ちの皆さまに、何かしらでもご参考になれば幸いです。