ミラクル快適ライフ

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ねこと一緒に暮らしてわかった3つの得する!こと

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実は私には、フェッちゃん(女の仔=左)とキチュ(愛称キチュオ・男の仔=右)という、それはそれは愛らしいニャンコ家族がいました。「いました」と言う過去形になっているのは、すでに彼らが天国へと旅立ってしまったからです。

キチュオは約4年前の10月(享年16歳5ヵ月弱)、フェッちゃんは約1年前の9月(享年19歳2ヵ月半弱)のことでした。

ねこに限らず、動物を飼ったことがある方ならきっとおわかりになるかと思いますが、本当は「飼う」なんて言葉を使いたくないくらい、一緒に住みはじめたその日から、彼らはペットではなく「家族」ですよね?

そして、一緒に暮らせば暮らすほど、彼らとの信頼関係は築かれ、強い絆で結ばれていく……。

楽しいことはもちろん、苦楽を共にし、体調を崩せばまるで我がことのように心配して病院へ駆け込んだりもしながら、彼らとの日々を積み重ねていく。

動物の寿命が人より短いことは、彼らと一緒に暮らす前からわかりきっていたことのはず……。

なのに、彼らといると毎日が楽しくて、嬉しくて……そして、いつしか彼らがいつだって自分と一緒にいてくれることが、まるで当たり前のように思えてしまう。

でも、そんな日々はやっぱり当たり前なんかではなくて……いつの日か、彼らとの別れは確実にやってきてしまうものなんですよね……。

私はフェッちゃんとキチュオが天国に旅立ってしまってから、今なお、彼らのことを思って涙を流すことがよくあります。

もっとこうしてあげればよかった、ああしてあげればよかったという後悔ももちろんあります。

でも、どんなに悲しくても、彼らと出会わなければよかったと思ったことは、ただの一度もありません。むしろ、ありったけの愛情を私にくれた彼らへの、感謝の気持ちでいっぱいです。

これからはこのブログに、彼らとの思い出をたくさん投稿させていただきたいと思っています。

それが近い将来、必ず生まれ変わってふたたび私の元に帰ってきてくれる彼らへの最大の供養となると信じて……。

まず第一回目の今日は、これからねこを家族に迎えようかな?とお考えの皆さんに、「ねこと暮らすとこんなに素敵なことがありますよ!」というメッセージを込めて、

「ねこと一緒に暮らしてわかった3つの得する!こと」について書かせていただきたいと思います。

また、これまですでにねこと暮らした経験のある方や、現在ねこと一緒に暮らしている皆さまには、彼らとの生活の素晴らしさと幸せを改めて噛み締めながら(笑)、楽しく読んでいただけますと幸いです!

 
1 飼い主の状況を察して「ねこが取る距離感」から、人間関係にも役立つ気遣いを学べる

ちっちゃこ、かわゆすなにゃんこ、フェッちゃん

18歳のフェッちゃん。我が家では「永遠の3歳児」と呼ばれていました。

 

私が生後3ヵ月ほどだったフェチキチュ(フェッちゃんとキチュオのことをセットで呼ぶときの愛称です)と出会った運命的なストーリーはいずれ書かせていただくとして、あれは彼らが3~4歳頃のことだったでしょうか?

ある時、フェチキチュが取った行動を見て、人への気遣いを改めて考えさせられたことがあります。

彼らと暮らすようになって早数年、私はもちろん、何年経っても彼らのことが大好きでしたし、カワイくてたまりませんでした。

「毎日見てても、毎日カワイイ!!!!」

ふとした時に彼らが見せるキュートな仕草や表情を目にしては、私は日々、彼らに胸をキュンキュンさせていたものです。

一緒に遊んだり、撫でたりした時はもちろん、グルーミングしている時やただ寝ているだけの時だって、彼らは本当に、無条件にカワイかった!

でも当時、広告系の編集の仕事していた私は、特に繁忙期になると日々時間に追われ、万年睡眠不足は当たり前。まともな食事さえろくすっぽ取れずに働く、ギリギリの生活が続くようになっていました。

そんなある日、なんだかふと、彼らとの距離を感じるようになったんです……。

普段、フェチキチュのうち、キチュオは私が仕事から戻ると必ず玄関まで出てきて、「ニャッハ~、ニャッハ~(お帰り、お帰り)」とねこ語でリピートして、お出迎えをしてくれました。

この「ニャッハ~、ニャッハ~(お帰り、お帰り)」と、男の子とは思えないような甘い声で必ず2回以上リピートするところが、「超!甘えたれ」のキチュオらしくて、なんともカワイかったんです。

一方、フェッちゃんは私の部屋に控えていることが多かったのですが、彼女は彼女で、私が「ただいま~」と言いながら部屋に入ると、それまで寝たり、箱座りしたりしてくつろいでいたとしても、やっぱり必ず立ち上がって私の方に寄ってきてくれました。

超美人さんにゃんこのフェッちゃん

おめめくりくり、お鼻もハートマーク?の超美人さん。

 

そして、「お帰り、お帰り。撫でて、撫でて!」と自分から頭を私の手に押し付けてきては、ゴロゴロと喉を鳴らして、私が家に帰ってきたことを体全体で歓迎してくれていました。

彼女はキチュオと違って、こういう時にねこ語を話しはしませんでしたが、私が「フェッちゃん!」と彼女の名前を呼ぶと、それはそれは女の子らしいカワイイ声で、「にゃあ」と百発百中お返事をしてくれる!本当にデキた仔だったんです。

また、フェッちゃんの何よりの特徴は、喉を鳴らす音の大きさ!キチュオも撫でたりするとよく喉を鳴らしてはいましたが、それは普通のねこと同じノーマル・ボリューム。

でも、フェッちゃんの喉鳴らしの音と言ったら、それはもうハンパない大きさで、喉を触ったり、顔を近づけたりしなくても当たり前に聞こえるほどのビッグボリューム!キチュオの4、5倍の大きさと言っても、決して大げさではありません!

女の子の中でもひときわ小柄でキュートな体型にも関わらず、ちょっとくらい離れたところでも何のその、ラクラク人の耳に届くほどのビッグボリュームだったんですよ。

だから、我が家では「ゴロゴロ音」では事足りず、「ブヒブヒ音」と呼ばれていたフェッちゃんのその喉鳴らしの音。そこには彼女のありったけの喜びや愛情が込められているようで、私には愛おしくてたまらない音でした。

でもそれが……気がつくとここしばらく、キチュオの「ニャッハ~、ニャッハ~(お帰り、お帰り)」やフェッちゃんの「ブヒブヒ音」を聞いてない……。

そして思えば、なんだかいつになくフェチキチュの私への態度がヨソヨソしい……。

ここ最近で特別、彼らを無視したり、怒ったりした記憶はもちろんないものの、そもそも彼らを取り巻く空気感が、なんだかいつもと違うんです……。

「なんで????」

「フェチキチュ、どうしちゃったの????」

でも、愚かな私はそのあと、すぐに気付きました。どうかしていたのは私の方だったのです……。

仕事の忙しさにかまけて、自分で自分の面倒を見るのが精一杯。彼らへの配慮が抜け落ちていたんです……。

もちろん、彼らへの食事や水はきちんと与えていました。私ができない時は夫に代わってやってもらっていたので、彼らが空腹状態にあったということもありません。

トイレ掃除も、多少頻度は落ちていたもののそこまで怠っていたわけではなかったと思います。

でも何より……彼らへの愛情が欠落していたんですね。

思えば忙しくなってからの私は本当に余裕がなくて、彼らの頭や体を撫でてあげたり、彼らに話しかけてあげたり、ましてやそれぞれの名前を呼んであげる回数すら、格段に減っていたのだと思います。

彼らに申し訳なく思うと同時に、「ねこってすごいな……」とつくづく思いました。

ねこって、ものすごく「人の状況を察して空気を読む」んですよね……。

私はすぐさま……その何年か前にテレビで見た、動物に関する相談番組で取り上げられていた「ねこ」のことを思い出しました。

ある女性が、「最近、自宅で飼っているねこが、皮膚病でもないのに体のいろいろなところに原因不明のハゲができるようになってしまいました。どうしたらよいでしょう?」という質問を寄せていたんです。

番組では、ねこと女性の生活を密着取材。そこで出た結論が、「飼い主の女性が結婚して子どもができたことで、独身時代にはもっと甘えることができていたねこが思うように甘えられなくなり、ストレスによるグルーミングのしすぎでハゲてしまったと考えられます。もっとねこのこともケアしてあげましょう」というものでした。

密着ビデオを見てみると、確かに、ねこがふと思い立って女性に甘えようと近づくと、そんな時に限って、まだ幼児の人間の娘がその女性のところに走って行って甘えてしまう。

その様子を見たねこは、その二人の間に割って入るなんてことは決してせず、「あ、ダメか……ダメなのね……」とばかりに、スゴスゴともといた位置に戻るんです。

そんなことが日に何度も繰り返されて、ねこはやるかたなしといった様子でただ、ただグルーミングをし続ける……。そうして、行きすぎたグルーミングを繰り返しているうちに、体のところどころがハゲてしまうという痛々しい姿になってしまっていたんです。

私はその仔の、本当は女性に甘えたいのに甘えられず、「あ、ダメか……ダメなのね……」と自分のもといた場所にスゴスゴと戻っていく姿を目にするたび、心が痛みました。

でも、私がうちの仔たちにしてしまっていたことも、きっとそういうことだったんですよね……。

そうと気づいてからは猛省して、どんなに忙しくても私の方から意識的に、フェチキチュを撫でたり抱っこしたり、名前を呼んだりするようにしました。

すると、最初のうちは「え?い、いいの(甘えても)?」と言わんばかりにおずおずと近づいてきていた彼らでしたが、数日経つうちには、元どおりの距離感を取り戻してくれました。

例えば家族や同僚、友人などに対しても、忙しさや精神的な余裕のなさにかまけて、気づかないうちに傷つけていたり、申し訳ないことをしてしまっていることもあるんだろうな。

そんなことを、つくづく考えさせられたエピソードでした。

 

 

2 ねこは人の疲れや病気を癒してくれる

体調不良の私に寄り添ってくれたフェッちゃんにゃんこ。

体調不良の私に寄り添ってくれたフェッちゃん。背中の一番星!は自慢の種。

すでにねこと暮らしたことがあったり、現在、ねこと一緒に暮らしている方はご存知でしょうが、ねこは決して、ただの気まぐれ体質の動物なんかではありませんよね?

とはいうものの、我が家のフェチキチュと出会うより以前、私はねこと暮らしたことがありませんでした。子どもの頃に2匹、犬を飼っていたことはあるのですが、ねこといえば、隣人が何匹ものねこを放し飼いにしているのを見るくらいで、ねこをペットとして飼っている友人もいませんでした。

だから、その頃の私は、確かに一般的なイメージとして言われる「犬は忠実」、「ねこは気まぐれで、わがまま」という感覚を持っていたのも事実です。

しかも、当時うちの庭で飼われていた犬たちは、隣人の家のねこたちが隣家との境に作られた塀の上を通るたび、襲いかからんばかりにそのねこたちに向かって吠えまくっていたのです。

その頃、家で飼われていた犬は私にとっては、やっぱりカワイイ存在の仔たちでしたから、そんな光景を見るにつけ、「ねこは我が家の犬の敵!」というような感覚さえ生まれ、ねこ嫌いの母の影響も手伝って、正直、ねこに対してあまりいい印象を抱いてもいませんでした。

でも、その感覚は我が家のフェチキチュと運命的な出会いを果たし、一緒に暮らし始めるとすぐに一変しました。

今だからこそ言えますが、もう20年近くも前に仔ねこだったフェチキチュと出会い、暮らし始めたのは、本当はペット不可のマンションでした。

でも、あんな運命的な出会いをした彼らをそのまま放置しておくことはできない。ねこなら犬のようには吠えないし、なんとか一緒に暮らせるよね?そう考えて、私は自分のマンションに彼らを連れ帰ったのです。

それでも、彼らの鳴き声が外に漏れないように注意するに越したことはない!そう考えた私は、会社に行く時は彼らが奥の部屋から出てこられないように、玄関を入ってすぐのキッチンとの境のドアを閉めて出かけることにしました。

けれど、会社から戻って、当時2Fにあった自分の部屋へ向かうために急ぎ足で階段を上っていると、その位置ですでに彼らの声が私の耳には漏れ聞こえてくるんです。

当時は特に、キチュオの声がデカかった(笑)。そもそもが男の仔なうえに生まれつき骨格がよく、女の仔の中でも特に小柄だったフェッちゃんに比べて、1.5倍くらい体格の大きかったキチュオ。

そのくせ、その鳴き声はまるで女の仔。しかも、仔猫だったキチュオはうまく「ニャオー」と泣けず、いつも「ピャオー、ピャオー」と鳴いていたんです。その甲高い鳴き声がまた、よく通ること、通ること(笑)!

これじゃあ、玄関に近いキッチンスペースに出てこられないように、奥の部屋との仕切りのドアを閉めてきた意味がないじゃない!

そう焦りつつも、私はそのキチュオの愛らしい声とその声に混じるフェっちゃんの「ニャオー」という声を聞きながら、毎日、息急き切って部屋に戻り、彼らの顔を見るのを本当に楽しみにしていたんです。

会社から戻るたびに耳にするフェチキチュの鳴き声は、間違いなく、強く私を求めていました……。生後推定3ヵ月だった彼らは、私がいなければ自分たちが死んでしまうであろうことを、きっと本能的にわかっていたんだと思います。

そうして私たちの絆は、瞬く間に築かれていきました。狭い部屋の中とはいえ、彼らは私が部屋にいる間じゅう、私のそばを離れませんでした。

私がシャワーを浴びるほんの短い間でさえも、「え?え?どこ行っちゃうの?」と言わんばかりに私に付いてきては、2匹揃ってトイレの上蓋に飛び乗り、お行儀よくおすわりをして、おとなしく待っていてもくれました。

しかも、シャワーを終わった私がシャワーカーテンを開けるやいなや、「ニャー(やっと出たのお?)」、「ピャオー(待ってたよ~)」と、それはもう目を輝かせては大騒ぎで大歓迎してくれたものです。

彼らが我が家の仔になってすぐ、私が熱を出した時もそうでした。

いつもはご飯を食べてお腹がいっぱいになると、彼らは決まって窓辺に置いてあったカゴにピョコッとジャンプ。抱き合うようにして眠るのが常だったのですが、その時ばかりは違いました。

フェッちゃんに比べて大柄とはいえ、まだ仔猫だったキチュオは私の異変を察知し、私の頭のすぐ横の枕の開いているスペースに陣取りました。

まん丸になって椅子の上で寝るにゃんこ、キチュオ。

最高8.2kgを記録したキチュオ。この頃で6kgそこそこ。

 

フェッちゃんもカゴには入らず、熱を出して寝込んでいる私の布団の足元に丸くなって動きませんでした。

当時、まだ結婚前の夫がお見舞いに来てその光景を目にした途端、「この仔どかした方がいいんじゃないの?」とキチュオを危うくカゴに入れそうになったのですが、高熱を発しながらも、即座に「いいの、そのままで!」と答えた自分を今でも覚えています。

私は自分の頭のすぐ横にいるキチュオの小さな体が発してくれている「癒しの氣」を、確かに感じ取っていたのです。そして、足元からはフェッちゃんの氣も……。

それ以降、彼らは私が風邪をひいて熱を出したり、体調を崩したりするたびに、そうして助けてくれました。

いつのまにか、そういう時の彼らの定位置は、私を中心に左右ににわかれてぴったりと寄り添うという型に決まっていました。

それはまるで神社の狛犬が、結界を張って邪気を払い、神を守ってくれているかのようでした。もちろん、私は神なんかじゃりませんが……。でも、彼らはそれくらい、私のことを大事に思っていてくれていたんだと信じています。

あの頃のことを思い出すと、本当に彼らへの感謝の思いでいっぱいで、今でも涙が流れます。

きっとねこには、体調を崩している人が発する良くない氣のようなものを察知するセンサーのようなものがあるのではないでしょうか?

そして私たちのことを愛すればこそ、私たちを守るために体を張って邪気を払い、私たちが健康を取り戻すために力を貸してくれているのではないでしょうか?

実際、ねこを撫でたり、可愛がったりすることには、血圧を下げる効果があると聞いたことがあります。

ねこにはそういう、人の体を癒してくれる確かな力があるということですよね。

 

 

3 ねこは、与えたよりもずっと多くの愛を返してくれる

抱っこされて満足げなカメラ目線のにゃんこ、キチュオ

抱っこされて満足げなカメラ目線のキチュオ

ねこは化けて出る、なんていうことを聞いたことがある方はいませんか?
ねこは執念深い動物だから、人に恨みを持ったまま死んだねこは、その仕返しに化けて出るなどと言われるようですね。

でも、そんなふうに言われる本当の理由は、実は「ねこは、それだけ愛の深い動物である」ということの裏返しなのではないかと、私は思っています。

愛すればこそ、その人に裏切られたり、何か嫌なことをされた時の恨みも深くなる。それだけ人との関わりが深い動物、ということなのではないでしょうか?

我が家では、生後半年になるかならないかの頃に、フェチキチュに避妊手術をしました。もともとペット不可のマンションで一緒に暮らし始めたこともあり、彼ら以外のねこと一緒に暮らせる余裕は私にはありませんでした。

それに、その方が生殖器の病気などを避けることができる分だけ、長生きできる確率が上がるとも聞いていたのです。

でも、手術をする時に獣医が言った「まれに、麻酔でショック死するねこがいる」という言葉を聞いた時は、本当に怖くなりました。

さらに、手術後に家に連れて帰ってきた後、辛そうにしているフェッちゃんを見て、私はなんとも言えない気持ちになりました。

その頃のフェッちゃんはどちらかいうと独立心旺盛な仔で、上に「超」が付く「甘えたれ」なキチュオに比べると、あまり自分からすり寄ってくるような仔ではありませんでした。

私もそれが彼女の性格であり、生きるスタイルなのだろうと思っていました。だから、もちろん彼女をカワイく思っていましたし、愛してもいましたが、あえて自分から必要以上に構うようなこともしませんでした。

でも、術後の辛そうなフェッちゃんを見るに堪えなくなった私は、彼女の体に触らないよう、そおっと彼女を撫でながら、声に出して、心から彼女に謝りました。

「フェッちゃん、フェッちゃん、大丈夫?」

「ごめんね、フェッちゃん、辛いを思いさせて本当にごめんね。こんなの人間の勝手だよね?手術なんかさせて本当にごめんね。でも、私にはフェッちゃんとキチュオ以外の仔の面倒を見てあげられるだけの財力もないし、それに手術した方が長生きできるって聞いたんだよ……。私はフェッちゃんに、本当に1日でも長く生きてしてほしいと思ってるんだよ……」


すると……

「ニャー」

なんと、それまでずっと辛そうに黙っていたフェッちゃんが、まるで「いいのよ」と言わんばかりに、か細い声ながらも、しっかりと私の目を見て答えてくれました。

これがフェッちゃんが、私が声をかけるたびに百発百中で答えてくれるようになった最初のお返事でした。

私は今でも、フェッちゃんと私の確かな信頼関係が生まれたのは、この時、この瞬間だったと信じています。

それ以来、彼女は私の祖母であり、母であり、姉であり、娘であり、友であり……そんな何役もの役割を担いながら、私と共に19年以上にわたる月日を歩んでくれました。

そして、私が彼女からもらったあふれんばかりの愛は、年月の長さだけでは、到底計り知れないものなのです……。

キチュオだってそうです。超甘えたれだったキチュオは、いつも私に本当にべったりで、私が食事を食べ終われば「待ってました!」とばかりにすぐさま膝に乗り、挙句の果てにはトイレの中にまでついてくるような仔でした。

たまに珍しくそばにいないな、と思えば、ドアの隙間から私の部屋の中をじ~っと見つめていたりして、まるで家庭内ストーカーでもされているようでした(笑)。

正直、食べたばかりの胃の上にズカッ!と乗ってくるキチュオが時折うっとおしくなっては、「お前は乗らなくていいから!」と振り払ったことも一度や二度ではありません。

キチュオが天国に旅立ってしまった後になって、「あの時、あのままお腹の上に乗せておいてやればよかったな」と後悔したことも事実です……。

でも、そんなことくらいで私たちの絆が壊れることはありませんでした。キチュオはキチュオで私の彼に対する愛を、しっかりと受け止めてくれていたのだと思います。

「にゃー」と鳴くキチュオにゃんこ。

にゃー。

 

数年前のある時、どうしようもなく悲しいことがあって、私は自分の部屋で声をあげて泣きました。大人になってからあんな風にして声をあげて泣いたのは、初めてのことでした。でも、そうでもしないと、むしろ私は壊れてしまいそうだったのです。

すると、そのとき私の目の前にいたキチュオが「ニャー?ニャー?(どしたの、どしたの? 大丈夫、ねえ大丈夫?)」と言いながら、オロオロしたように私の膝に両手をかけて、体全体で私の悲しみを受け止め、分かち合い、慰めてくれているのがわかりました。

でも、その頃のキチュオはすでに血液のガンの疑いがあると言われ、食欲も減って、むしろ私の方が日々、彼を心配する立場にあったのです。

「キチュオ……ホントは私の心配なんかしてる状況じゃないはずなのに……。なのに、お前ってば、私の心配なんかしてくれて……」

私はそれでも泣き止むことのできない自分の不甲斐なさと、キチュオへの申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいで、ますます涙が止まらなくなりました……。

ねことはこんなにも優しく、愛にあふれた仔たちです。

与えたよりもずっと多くの愛を返してくれる、本当に素敵な仔たちなのです。

 

まとめ

このページのタイトルは、ねこという動物の素晴らしさをシンプルにお伝えしたくて、「ねこと一緒に暮らしてわかった3つの得する!こと」とさせていただきました。

でも本当は、ねこと一緒に暮らすことで得られる幸せは、たったの「3つ」なんていうそんなちっぽけなものではなく、ねこと関わる人それぞれに、無限大にあるものだと思います。

しかも、ねこは「かけた愛情の分だけ返してくれる」なんていう、そんなケチな仔たちではありません!

彼らは私たちが彼らを愛した分の愛情を、何千倍、何万倍という大盤振る舞いの愛に変えて返してくれる、度量の広い、本当に素敵な仔たちなのです。

ねこ好きの方、またそうでない方も、ご縁あってこのページを読んでくださった皆さまには、ねこたちの素晴らしさを改めて感じていただけましたら幸いです。